愛する人の死を具体的に想像すること。


古賀洋吉(@yokichi)さんのブログ、「愛の日記@ボストン」を読んでいる。
先日のエントリーに家族・大切な人に関する考えさせられる素晴らしいエントリーがあった。

普段、大切な人との何気ない日常を何気なく過ごしてしまっている方には是非読んで欲しい。



最後の方に書いてあるが、古賀さんが言いたいことは、

    愛する人の死を具体的に想像する
    ことはとても大事なのではないか

ということ。

人間にはいつか必ず「死」という別れが訪れる。それは絶対に避けられない。
考えればそんなこと当たり前のことだ。だけど、いつか必ずその別れはやってくるものだとわかっているくせに、このままでは絶対に後悔するだろうな、と思う。

失ってみるまで、その気持ちを「完全に」理解することはできないでしょう。ただそれでも、想像する努力はすべきだと思っています。なぜかと言うと、人間というものは勝手なもので、失ってみるまでどれだけ相手が大事だったのかなんてわからないことが多いからです。そして、「わかっていたならばあれをしたし、あれをしなければよかった」という後悔は、ほとんど確実にやってくると思います。特に、急な死であればあるほどに。


奥さんの「さやか」について考えてみる。
もしさやかがいなくなってしまったら。




オレはさやかとずっと一緒に歩いて行きたいと思っている。
こんなにもオレたち二人の子供たちを愛して、オレの背中を時に支え、時に強く押してくれる人。
主張し合い、笑い合い、泣きながら、一緒にいることでずっとわかり合う関係。
わかり合うことに終わりはなく、そうやってわかり合おうとしながら歩いていく関係。

きっと、さやか以外にそうやって歩いていける人はいないのだろうと思う。
オレの人生にたくさんの彩りをくれた。そしてこれからも。


もし、さやかがいなくなってしまったら。
オレの人生は味気なく、成長のない、つまらないものになる。

なにから手をつけていいのか、わからない。
さやかと一緒にいることで、今の「オレ」という人間が成り立っているのだと実感する。
頼りないと感じるかもしれないがそれが事実だ。


優しくできなかったこと。
仕事を優先してしまい家族との時間が少なかったこと。
子育てについてもっと話したかったこと。
二人でもっと旅行に行きたかったこと。
二人で一緒に仕事がしたかったこと。

実際の後悔はもっと大きいのだろう。


人生は短いし、いつ何が起こるかわからない。
明日には世界はもう無いかもしれない。


そう思えば、想像できる「後悔」をできるだけ少なくするために、想像力を働かせ、大切な人の「死」を感じることは必要なのだ。


大切な人が、もし、急にいなくなってしまっても。
後悔の気持ちを残さないように。
大切な毎日を大切な人と。さあ、生きていこう。



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