「引用」で紡ぐ糸は「オリジナル」になる。
イケダハヤト(@IHayato)さんの「引用が中心のコンテンツはモラルに欠けるのか」という記事に、「他人のふんどしで稼いでいる感」を持つ人から非難されていることについて書かれていました。
→「引用が中心のコンテンツ」はモラルに欠けるのか—「他人のふんどしで稼いでいる感」の未来
引用はパクリか?
ここにも書かれているように、引用元と引用している人、当事者同士が納得していればなんら問題ないのでは?と私も思いました。
私も引用させてもらうことが多いのですが、引用するということは「共感したことを自分の意見を付け加えて表現する」という行為になります。
この時点でもう「パクリ」ではなく、もうほとんど「オリジナル」なんじゃないでしょうか。(これは言い過ぎか.....笑)
オリジナルの意味
完全にオリジナルなものなど今の世の中に存在するのでしょうか?
基本となるほとんどのものが過去の先人たちによって生み出され、まっさらの状態から何かを生み出すということは現実的ではない気がします。
極端な話、小説だって音楽だって、作っている人が今まで触れてきた(小説/映画/音楽などなど)表現を参考にして作られているものだと思います。
ちょっと話がズレているかもしれませんが、共感した他の人の表現を集めて自分の中に落とし込み、1本の糸を紡ぎだすことはオリジナルだと思うんです。
発展途上中は、たくさんの表現に触れて、自分の感覚を見つける時期なんだと私は思います。
イケダハヤト(@IHayato)さんは、たくさんの人の考え方に触れて勉強し思考しているからこそ、自分の感覚にしていけているんだと思います。
それはもうある意味オリジナルの域であり、彼の表現に惹かれたブログ読者(私もその1人)がたくさんいるのです。
偽物はすぐにバレます。本物にしか人は付かない。
世間はそんなにバカばっかりじゃない。
本物だからこそ稼げているのだと、そう思います。
私も彼のブログを参考に勉強させてもらっています。
勝手にすみませんが、感謝!