「アキレスと亀」のはなし。


北野武監督の「アキレスと亀 [DVD] 」を観ました。
思ったことをちょっと書いておこうと思います。


北野武映画は難しいのか、簡単なのか、よくわからなくなるところが難しいと思います。

よく考えさせる仕掛けがそこにあります。


昔、北野武映画を観たときは、全然分からなくてつまらなかったけど、今は何となくだけど自分なりに考えながら観れました。
面白かった。



photo credit: Mariano Kamp via photopin cc




印象的だった冒頭の「アキレスと亀」の話。


Wikipediaゼノンのパラドックスより引用
あるところにアキレスがいて、2人は徒競走をすることとなった。しかしアキレスの方が足が速いのは明らか[2]なので亀がハンディキャップをもらって、いくらか進んだ地点(地点Aとする)からスタートすることとなった。
スタート後、アキレスが地点Aに達した時には、亀はアキレスがそこに達するまでの時間分だけ先に進んでいる(地点B)。アキレスが今度は地点Bに達したときには、亀はまたその時間分だけ先へ進む(地点C)。同様にアキレスが地点Cの時には、亀はさらにその先にいることになる。この考えはいくらでも続けることができ、結果、いつまでたってもアキレスは亀に追いつけない。




合っているかは置いといて、自分なりにこの映画を解釈。

相手がなんであろうと、「追いつく」ことを考え始めるともう追いつけないのだろう。
ライバル会社であれ、人であれ、流行であれ、時代であれ.....


主人公のマチス(北野武)は芸術をやめなかった。
やめなかったけど、常に何かを追い続けた。周りが何も見えなくなるくらいに。
そしてあるとき、唯一の理解者である奥さんにも見捨てられた。
それでも芸術をやめなかった。
芸術は自分そのものだったのだろう。


その、自分そのものがなくなってしまいそうな経験をして、マチスは気づいた。
自分の持っているものこそ、芸術なんだと。


何かに追いつこうとすることをやめて、おごらず、偉ぶらず、素直に自分を表現すること。
それが生きるということなんだ。


追いつこうとするのをやめた時、アキレスは亀に追いつくことができた。



まとめ

なにものにも惑わされず、なにものも追いすぎず、自分自身と向き合いながら生きていく大切さを学ばせてもらいました。



以上


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