これからの「品質保証」について考えてみた
「品質を保証する」とは一体どういうことなのでしょうか?
品質保証 - Wikipediaから抜粋
品質保証(Quality assurance, QA)は、効率と品質が求められるあらゆる活動において、それらに保証を与えるのに必要な証拠を提供する活動一般を指す。
顧客や権利保有者のニーズ・期待・要求に製品が適合していることを保証する。
「品質保証」を複雑にしているのは誰?
Wikipediaの説明では上記の通りで、つまり顧客に対して製品を保証するものです。
つまり、品質保証の出発点は顧客の「ニーズ・期待・要求」であり、それがどこにあるのかが分からなければ、そもそも「品質を保証する」ことなど不可能である、ということですね。
これまでの日本のものづくりの大半は、顧客ニーズを捉えて製品の細かい部分の高機能・高性能化を目指してきたわけではなく、日本人が得意な「手段の目的化」の果てに生まれたものだと、私は思います。
※「手段の目的化」を否定するわけではありません。「ハッカー文化」と「オタク文化」の違い、または手段の目的化によるイノベーション/nanapi社長日記に書いてあったことを読んで納得した部分が大きいのですが、新しい市場を創り出すことは絶対必要ですし、顧客の表面的なニーズばかり追いかけていたらそれはできません。
「手段の目的化」は非常に日本人的なイノベーションを生む可能性があり、その特殊能力を理解した上で活用していく必要はあると思います。
ここで難しくなるのは「品質保証」の考え方です。
本来は顧客ニーズがあって、そのニーズに合わせて製品を作り、そのニーズに合わせて品質を保証する。
(言葉にすると結構シンプルですね)
日本の「メーカー」は顧客の表面的なニーズを捉えるのではなく、「手段の目的化」で発展し顧客を引っ張ってきた。
それにより、製品の機能や性能は複雑で多岐にわたるものが多くなり、「品質を保証する」という行為自体も複雑で多岐にわたるということです。
ニーズを捉えずに多機能化した製品は、ニーズ・期待・要求は顧客の想像力(=メーカーの想像力)によって大きく膨れ上がるため、そのすべてに対して品質を保証しなければならなくなるということでしょうか?
顧客の視点で考えれば、メーカー本位で多機能化したのですから、その機能すべてに対して品質を保証しなければいけないと私は思います。
だけど、目先の利益を追い求め始め、何が本当に大事なのかを見失うと、やりきれなくなってしまうこともある。
最終的に、メーカー本位で進めた製品開発により複雑になってしまった機能に対して、品質保証を何に対して、どこまでやるのか?は、結局は「メーカーのポリシーだ!」みたいな顧客本位からはかけ離れた場所へ到達します。
メーカーは過剰品質になったり、顧客が求めているところで品質が悪かったり.....
顧客としては欲しい機能がなかったり、過剰品質のせいでコストがかかっていたり.....
ここまでくると、メーカーにとっても顧客にとっても、いいことはほとんどありませんよね。
つまり「品質を保証する」ということを複雑に、難しくしているのは、紛れもなくメーカー自身だと思うのです。
私の思うこれからの「品質保証」
ここまで考えてきて思う「品質を保証する」ということは、
○顧客1人1人のニーズを捉えること
○ニーズ1つ1つにピッタリ合った製品を顧客に提供すること
○上記2つを繰り返しながら製品を作っていくこと
だと思いました。
これからの時代、「品質保証」をやりきれないメーカーは信頼性を失い淘汰され、本来のシンプルなニーズをうまく捉えて顧客に提案する、つまり「個別に品質保証」していけるメーカーが生き残っていくと思います。
これまでのやり方に固執したり、変化を恐れて「現状を壊せない」と、乗り越えていけない時代がもう始まっている。
顔の見えない商売ではなく、顧客の顔を見て、思っていることや感じていること、本人にも分かっていない微妙な変化を捉えることが商売につながっていくのかな。
そんな人と人との好循環な関わり方について、考えて、行動に移していきたいと思いました。
突然の書き込みで失敬。
『品質保証は、マーケティングから始まる』ってことだと思います。
自分も難しいドラッガーの本を読みました。
営業(押し売り)いらず、品証(クレーム処理)いらずの製品が作れるとイイですね。
Ujigawaさん
見つかっちゃった!?恥ずかしい。
失敗を恐れず、どんどん投稿していこうと思います。
文章と思考の練習だ!
読んでくれてコメントまでくれてありがとうございます!