心に刻まれる衝撃的な経験を 〜「沈まぬ太陽」を読んで〜

今さらながら「沈まぬ太陽」(著者:山崎豊子さん)を読んでいる。



まだ5冊ある内の2冊目に入ったばかり

 渡辺謙さんが主演で映画化され話題になった、アレだ。(最近「アレ」ってよく使うようになったなあ...)
前から何となく知っていて、読んでみたいなと思っていたら嫁さんのお父さんが持っていたので借りてきた。
当初は本意ではなかったが組合委員長になる決意をし、組合員の考え・自らの考えを会社にぶつけ、信念を曲げずに行動する主人公が委員長を降りたとたんに僻地の支店をたらい回しにされる話。これが事実に基づいた話というのだから驚きだ。
現実にこんなことがあるなんて、考えられない!と思ってしまうくらいだから、オレは本当にぬるま湯の世界に生きているのだなあ...とつくづく思う。世界にはオレの知らないことが星の数ほどあるんだろうな。
まだまだ途中だが、読んでいて思ったことを綴ろうと思う。

世界には何十億人もの人間が呼吸をして生きている。ひとりひとりそれぞれ生きている環境とか育ってきた環境によって今現在直面している出来事は異なる。
んで、「今直面している出来事」って、その人の価値観・考え方・過去にすり込まれた偏見・人間関係・生活状況などなど...によって違ってくる。例えば、客観的には全く同じ出来事だとしても、その人が持っているものの捉え方次第で全然違うものに見えるし、答えも違うものになると思う。
ものの捉え方って、今まで育ってきた環境により形成された「価値観」次第なのかな...?と考えると、つまり、たぶん、現状を「幸せだ」とか「不幸だな...」と感じるのは、「育ってきた環境」によって生まれる感情なんじゃないか?というところにたどり着いた

育つ環境って、小学生くらいまでの環境はもう親に依存するよね。小学生の頃から自立してて、「いや、オレはこんな環境で育ってたらダメになるから家をでる!」なんて人がいたらすごい。笑(でも世界は広いからもしかしたらいるかもしれない)
そう考えると子育てって本当に難しいと思う。どんな環境で育てばどんな人間になるか、なんて分からない。『こう育てばこんな感じの大人になるんじゃない?』っていうサンプルは1つだけある。そう自分自身だ。でもその自分自身についても、ケッコウ曖昧だな〜。
よく、「子育ては自分自身の経験の中でしかできない」って聞くのは、まさにそういうことなのかな?

色々考えていると、『ベストな環境』なんて無いことに気づく。
何不自由無い生活環境が育つ環境としては良いなんて言えない。両親が離婚してお父さんしかいない家庭で育つのが悪いなんてことも、金持ちだとか、貧乏だとか、学校に行けないとか、友達がたくさんいるとか、何が良い環境で何が悪い環境か?なんてなんにもわからないじゃん。例えば、お父さんしかいない環境で育った子は、お母さんに甘えられずに育ってかわいそうだと周りは思うかもしれないけど、イイもワルいも我慢することを覚え、何でも自分ででき、人に頼られるたくましい人間に育ち、子供の頃の経験から母親の愛情の必要性を人一倍理解して、子供への愛情溢れる素晴らしい伴侶を見つけて暖かい家庭を築くかもしれない。

沈まぬ太陽〈1〉アフリカ篇(上) (新潮文庫)  の中にこんな話が出てきた。
恩地元(主人公)は2年間だけという約束でパキスタンに赴任した際、家族を連れていった。生活環境は日本に比べると劣悪(台所の電気をつけた瞬間、床一面のゴキ○リの大群が一斉に逃げ出したというエピソードが書いてあった)で、学校はなく、小学2年生の子供に勉強を教えるのは母親の役目だった。教えている最中に、子供はずっと思っていたことを爆発させ「お母さん、僕は学校へ行きたい!友達と一緒に勉強したいよ!お父さんに言って東京へ帰ろうよ、僕は学校へ行きたいよ!」と泣きながら母親に訴えるシーンがあった。
本の中の話とはいえ、オレも胸が締め付けられる感じがした。このとき、「子供のためにどんな手を使ってでも、さっさと日本へ帰るべきだ!恩地元、何やってんだ!」と強く思ったね。
だけど、これだって「日本に帰るのが一番イイ選択だ」なんて言い切れない。子供は日本の友達とは違う、苦しい環境で生活することに「なんで自分はこんな思いをしなきゃいけないんだ?」と感じるだろうけど、ものすごく悩むことや衝撃的な経験は心に思い出を深く刻ませ、その時感じたことは必ず将来の様々なシーンに影響を与えるものだと思う。何にも知らずにぬるま湯で生きてきた人間には伝えられない強さや優しさが、同じように悩む誰かのために滲み出る可能性だってあると思う。
そういう経験をうまくコントロールできればいいんだろうけど、でもコントロールされた経験なんてたいした経験じゃないよな...

今回ここまで考えてきて、一番強く思ったことは

思い出に残らないぬるま湯のありきたりな生活ではなく、良くも悪くも
心に刻まれる衝撃的な経験を ということ。

これから成長する上で、家族にも自分自身にも必要な意識だと思う。
前提として、どんなに苦しくても明るく前向きにやっていける仲間が必要だな。
オレはいいチーム(家族)に恵まれた。本当にありがたい。
きっと、どんなことがあってもいい思い出に変わると思う。
そう思えるからこそ、どんなことが待ち受けていようとも、いい経験いい思い出になると信じて立ち向かい、乗り越えるぞ。
そして、衝撃的な経験ができるようにむしろ自分から広い世界に飛び込んでいきたい、と思った土曜日の深夜であった。

長くなり、すみません。ここまで読んで頂いてありがとうございました。

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